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波乱万丈な男♣️tekunの人生雑記

Episode 6「矛と盾」

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どーも、波乱万丈な男♣️tekunです(о´∀`о)

 

今日は以前に続いて↓

https://t-kun.hateblo.jp/entry/2020/11/12/130626

 

エピソード6ということで小学5年生頭脳は2年生、2学期を迎える。

 

前にH公園で義兄に半日稽古つけてもらって以降、学校の授業の中でずっと「修行の場」をどこにするか妄想していた。

 

鍛錬しているところを見られたら、ハズかしい、、、よし、給水所ことオアシスS公園にしよう。

 

選んだ理由は3つあった。

 

1つ目は家と学校から近いこと。

 

2つ目は水汲みもでき、舐めると甘いピンクの謎花が咲いていたこと笑

 

3つ目は小さくてボロい遊具しかない公園だから遊びに来る人がほぼおらず貸し切りにできること。

 

最高の環境だと胸を唸らせ、学校からガムテと捨てあったダンボール拝借し、修行場へ。

 

行き着いた11歳は真面目に考え抜いた、修行内容は2つ。

 

1つ目は公園の中にある太い木にダンボールを巻きひたすらに蹴る。

 

2つ目は木が植えてある周りの石段に拳を叩き込む。

 

3人組に「負けない」という気持ちを木と石段にぶつけるように毎日学校終わってから鍛錬しにいった。

 

暗くなる頃、家に帰っても毒親からでる言葉はおかえりではない。

毒親「近所からお金借りて酒とタバコ買ってきて」

 

俺「酒ばっか飲んでねーで、いい加減仕事しろよ」

 

毒親「お母さんは車の免許無いし、生活保護もらえなくなるから働かないけど、これから男の人からお金もらえるからご飯食べれるくらい少しは生活楽になるから」

 

俺「免許取って仕事しろよ。なにも期待なんかしねーよ」

 

結果、長くなるので省きます笑
喧嘩になって反抗し続けたが疲れて相手にしなくなった。

 

その後は光明が差す感覚だった。

 

6歳ときから見てた男が気づいたら家に転がり込んでいた、そんな光景見慣れていたからどうでもよかったが金を入れていたことで、

 

ライフラインはガス以外回復、食料も米・卵・納豆がある程度支給され、風呂も2〜3日に一回入れるまで生活水準も幸福度も上がった(毒親や男がいても飯食えれば良いという考え)

 

一般的に言えばそれでもド貧乏だが、極貧生活から泥水舐めてきてハードルが極低だった俺からすれば、冷蔵庫開けて食料入ってることが「奇跡」で卵・納豆が食えることが「贅沢」としか思えなかった。

 

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義兄ん家で読んだ、浦安鉄筋家族の仁くんのような生活よりは俄然いい。

 

蛍の墓の節子みたいに死ぬことはない。

 

その当時はそんな価値観と思考回路で現実逃避してたんだと思います笑

 

それからモチベは上がり学校は3つの理由があり、1日も休まずに登校していた。

 

1つ目はやっぱり給食が楽しみ。

 

2つ目はクラス内の人間観察。

 

3つ目は3人組に対してのリベンジ。

 

そんな理由で不登校を克服した笑

 

そして休日の夜、義兄ん家へ向かった。

 

義兄「きたか‼︎お前さ財布とか持ってねーだろ⁇ 小銭入れやるよ」

 

俺「義兄からもらうお小遣いはポケットに入れてたから、ありがとう」

 

義兄「おう‼︎そんじゃプレステでストファイやるか」

 

俺「じゃなくて、喧嘩で勝てる方法教えてよ」

 

義兄「俺はダルシムでいく、お前は⁇」

 

俺「んじゃリュウにする。俺が勝ったら喧嘩で勝つ方法教えて」

 

義兄「ゲームで教えてやる」

 

結果、なにも攻撃してこない義兄に勝利。

 

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義兄「はい、もう教えたからこれでイイだろ」

 

俺「は⁇意味わかんね」

 

義兄「今なにもしてこない俺に勝って楽しかったか⁇ 弱い者いじめても、つまんねーだろ⁇ だから喧嘩するときは自分より強い奴を相手にしろ。ただ自分からは先に手を出したら負けたも同然、手を出すときはなにかを守るときにやれ。あとは喧嘩のことでお前に教えることはねーから」

 

と言って、さっさと義兄は寝室に消えてった。

 

確かにつまんない、先に手を出すことはよくない、それはわかる。

 

けど俺は自分よりも強い奴を相手にするってわかってたから、S公園で3週間ベジータばりのモチベで修行した。

 

おかげか拳にはタコができ、足は痛かったが強くなった気でいた←書いてて伊之助ばりの脳みそだったと思う。

 

それでは今日のエピソード6はここら辺で笑

 

追記《今の目線で↑を振り返り考察》
今後もチョイチョイ出てくるS公園での修行は意味があったのか、なかったのかは置いときます笑

 

あの当時、僕は親に恵まれない不幸な少年だと思っていたのになぜ幸せを感じたか⁇

 

激辛スンドゥブに卵が入ってればオアシスだと感じるのと一緒だと笑

 

けど心理学の本読むうちにわかったことがある。

 

それはあの時に男と住むようになったが極貧→貧乏へ生活ステージが上がって感じたあの時の幸福感度は『認知的不協和解消』(矛盾する認知の定義を変更・過小評価したり、自身の態度や行動を変更する考え)だと気付いた。

 

毒親と男に不満しかない自分=不幸
飯が食えて満足している自分=幸福

 

相反する自分に矛盾を抱えた状態で不快感を感じていたからこそ、自分より上を見ればキリがない、下を見たら仁くんと節子よりはいい暮らしだと不幸を解消して幸福だと感じた。

 

、、、、、なんだか難しいですよね笑

 

例えるなら、
「タバコを辞めたくても辞めれない」「ブラック企業を辞めたくても辞めれない」

 

どちらも身体に悪くて辞めたいのはわかるけど、なにかと辞められない理由を探して依存するケース。

 

僕はどちらも辞めれましたが、経験者なんでわかります笑

 

辞められない人が悪いとかの話しじゃなくて、自身の経験と心理学から学んで、点と点が繋がった感じでスッキリしましたって話しです。

 

結果、どんなに真っ暗でも自分でどう感じてどう思ってどう選択するかはその人次第。

 

僕は過去に正しい選択よりも間違った選択をいっぱいしてきましたけど、その間違いがあるからこそ今の自分がいる。

 

そこに気付いてからの僕は正しい選択よりも後悔しない選択をしています(*´∀`*)

 

仮に間違ったとしても後悔してもプラスに変換できるかだと思います。


ここまで長々と読んでいただいた方ありがとうございました‼︎

 

このnoteを読んで1人でも笑って前を向いてくれる人が増えてくれればいいなと思いながら書いていますのでこれからもよろしくお願いします‼︎

 

それでば( ^ω^ )

 

 

 

Episode 5「変化点の兆し」

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どーも、波乱万丈な男♣️tekunです(´∀`=)

 

今日は以前の続きから↓

https://t-kun.hateblo.jp/entry/2020/10/02/191548

 

エピソード5ということで、あれから小学5年生の11歳になった。

 

劣悪な環境は変わらない。

 

その一方で義兄と再会してから、当時最大の「唯一の楽しみ」があった。

 

休日になったら義兄の家に行けば飯は食える、小遣いもらえる、遊び連れてってもらえる、その小遣いで平日は凌ぎ生活サイクルができていくうちに栄養失調も少しずつ改善され、義兄の背中見たり言葉を聞いているうちにメンタルも強くなり、喘息にもなりにくくなり体も丈夫になっていった。

 

そんな子供の大きな変化にも毒親は気付きもしない。

 

家では相変わらずの育児放棄延長の完全放任主義だった。

 

会話はほとんどなかった、あっても「近所からお金借りてきて」とか毒親にとって利がある事がほとんどだったので俺はシカト決めたり、「そんなの自分で借りてこいよ。恥ずかしいんだよ、バ◯ア」と反抗するようになっていた笑

 

学校では2つの理由があって通い始めた。

 

1つ目は新学期前のクラス変えがあり、いじめっ子だった3人組とはクラスがバラバラになったことで行きやすくなったこと。

 

2つ目は義兄のおかげで心身共に強くなれて成長できたことで不登校を克服しよう思えたこと。

 

その決意の上で改めて給食を食いに学校に行くがまた新たな問題がでてくることに(´Д` )

 

給食さえ食えればいいとい意気込みだったが、現実を知る。

 

全く学校の授業や周りについていけないことに劣等感を感じていた。

 

喘息入院+いじめ不登校で小学校4年間の80%欠席した結果。

 

肩書き5年生、頭脳は2年生の俺にとって授業は神次元の身勝手スピードで進んで行く。

 

頻繁に喘息で入院していた頃に看護婦に足し算引き算を教えてもらい、5年生になる頃やっと時計の読み方と掛け算九九を自力で覚え、義兄ん家にある漫画をひたすら読み、お小遣いで買った遊戯王モンスターの名前から漢字を覚えるが、3年の遅れを取り戻すのは界王拳20倍使っても難しい。

 

だから図工と体育以外の授業は流して、どーやったら短距離で普通のレールに乗れるか小さい頭で考えて過ごしていた。

 

そんなある日の放課後、クラスが別になって忘れかけていた頃に奴らが現れた。

 

いじめっ子3人組。

 

体育館裏まで呼ばれ壁に叩きつけられ罵声を浴びせられる。

3人組A「おい貧乏人、また学校戻ってきたのかよ」

3人組B「お前ん家、家に電話ねーよな」

3人組C「金無くて、運動会も遠足にも弁当持ってこれねーもんな」

 

俺「.....あんま貧乏人なめんなよ」

その後に2人に両手抑えられ、1人に胸ぐら掴まれて顔と水月蹴られて悶絶ハイ終了。

 

3人組「将来ホームレスおめでとう」

と捨て台詞吐かれ去っていったとさ。

 

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糞悔しくて悔しくて砂噛む思いでした。

 

好きであんな親の元に貧乏に生まれてきたわけじゃねーのに、なんで俺がこんな惨めな思いしなくちゃなんねーんだ。

 

親を恨み憎しみました。

 

普通の家庭に生まれてくればこんな思いはしなかったはず。

 

あの当時は本気でホントに神様はいるのだろうか、いるならば俺は見捨てられたのだろうかと真剣に考えていた。

 

1人で近くの神社に行って「わがままは言わない、これからは貧乏でも最低限度の生活と笑顔ある人生を送れますように」とお願いしてみたり笑

 

神頼みは置いといて、自分の中であの3人組をどうにか見返してやろう、最後に笑うのは俺だ、そんな気持ちで溢れていた。

 

それから義兄に

俺「喧嘩の仕方教えてよ」

 

義兄「お前の顔の傷見りゃわかるよ、強くなりたいなら教えてやる」

 

俺「見返したい奴らがいるんだ」

 

義兄「子供の喧嘩には口出しする気はねーけど、これから生きていく上で良い事も悪い事もやられたらやり返せ。ただわかる年頃になったら悪いことはやられてもやり返す大人になるな。」

 

俺「わかった。とにかく悔しいし強くなりたい(内心はやられたらやり返すって意味しか理解できなかった)」

 

義兄「あんな親の元に生まれてきた時点で絶望したくなる気持ちも毎日に嫌気がさす、お前の気持ちもわかってる。

俺らは良い育ちの『綺麗な花』じゃない。

俺らは悪い育ちの『雑草』だ。

今ままでもこれからも普通の人以上の何倍もの失敗苦労して生きていく、でも小さいとき若いころの失敗苦労は後々お前を強くするから積み重ねろ。

いずれ大人になって稼ぐようになったとき、お前みたいな底辺の雑草みたいな人間が人並みの人生歩めれば成功したも同然だから、とにかく強くなれ。」

 

俺「強くなって、普通の人間になる。あの3人組を黙らしてやる(内心義兄は褒めてんのか貶してんのかわからない、肩書き5年生頭脳は2年生の俺には言ってることも深すぎて理解できなかったが、歳を重ねるにつれ意味がわかり、自分の発言に間違いがあると気付く笑)」

 

義兄「よし、まず人間の急所は、、、人中から〜」

 

育ちの悪さからグレて元非行少年だった義兄は熱が入り、近くの公園に連れてかれ修行を行った笑

 

あの当時の俺も貧しい自分と弱い自分が嫌いで嫌いで、悔しい・虚しい・恥ずかしい・情けないという入り乱れた気持ちを原動力にしてベジータばりに強さを求めていた。

 

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今日のエピソード編はここら辺で笑

 

追記《今の目線で↑を振り返り考察》

一難去ってまた一難のループで背景も状況も踏んだり蹴ったりで今だから笑って記事かけてます笑

 

ACに立ち向かってった僕は人格・性格・気質・言動・病など、悪影響を及ぼすものばかりでハンデやリスク持つ自分をまずセルフコンパッション(自己受容)して自分を知り、自己肯定をしながら行動を少しずつ変えていくことで新しい自分に変われました。

 

漫画で例えて言うなら

下級戦士からサイヤ人

無能力者が覇気が使える者に

呼吸を鍛えたら全集中できるように

 

言うのは簡単なことで変えるには努力とトライ&エラーがマンガでも現実でも必要。

 

それが身に付いてたのは自分が小さいとき、若いころの失敗や苦労があったから。それが後の人生の糧となり財産になって今がある。

 

糧や財産にできない人の特徴と本質を言えば「失敗や苦労」をしてもなにも感じない、人のせいにする、学ばない人は同じことを繰り返しする。

 

一方で「失敗と苦労」から反省して気付き、なにが良くて悪かったのか学び、具体的に次はどうするか対策を打つなど、フィードバックして行動できる人は成長できるので「失敗=損」ではなくて自分の受け止め方次第で「失敗=得」にも思えるってことが僕の人生の中で見つけた答えの一つです。

 

今となっては毒親の元で貴重な体験ができたと「失敗は成功のもと」「若いうちの苦労は買ってでもせよ」って言葉は昔はピンとこなかったけど今なら相応しいと思えます。

 

ここまで長々と読んでいただいた方ありがとうございました(*´ω`*)

 

読者登録やはてなスターやブクマの方もありがとうございます‼︎

 

この記事を読んで1人でも前を向ける人が増えてくれればいいと思いながら書いていますのでこれからもよろしくお願いします‼︎

 

それでは(=´∀`)

「セルフコントロール」

どーも、「金持ちお父さん、貧乏お父さん」愛読中のT-KUNです(´・Д・)」

 

今日は苦手だった青汁を毎日飲む習慣を身に付けた方法に加え、筋トレルーティンができたのはこの本のおかげなのでアウトプットしていきます。

 

著者メンタリストDaiGoさん

「すっごい呪文」と「倒れない計画術」

で提唱している「作業興奮の原理」と「if thenプランニング」についてピンポイントで自分なりに色つけて解説していきます。

 

まずは「作業興奮の原理」から

とりあえず5分間続けてやってみよう、習うより慣れろです。

 

やると決めたのに、

やる気がでない。

めんどくさい。

また今度にしよう。

明日でいいや。

俺を含めそんな人が多いと思います笑


わかりやすく言うなら、
始めはやる気なかったけど、家の掃除やってたら、だんだんスイッチ入って止まらなくなったとか、


乗り気じゃなかったけど、先輩に勧められたゲームやってたら、ハマりだしたとか、鬼滅の刃見出したら、止まらなくなったり、


他にもあると思いますが、そんな経験ありませんか⁇


今日は怠けたい、めんどくさい、やりたくない悪魔の自分に打ち勝ちやすくなれるように天使の自分をコントロールするときに活用できます‼︎

 

自分も毎朝HIITと筋トレをやっていますが今日は起きるの遅くて、時間がない、めんどくさい、そんなときでもダンベルを持って数回振るとやる気がでてくる笑

 

つまり20秒以内に行動できた上で、5分持続できると、行動力が上がる=場所×行動=習慣化

 

身近で当たり前な例で言うと、

 

茶の間のテーブルに包丁とまな板、大多数の人は置かないですよね⁇

 

トイレに枕と布団、大多数の人は置かないですよね⁇

 

ちゃんとキッチンに包丁とまな板を置いて、寝室に枕と布団置いとく人がほとんどですよね。

言うまでもなく当然その物を使うべき場所まで運んだり、行動するまでに20秒以上かかると人は無意識にモチベ低下、やる気失せる心理になります笑

 

それでも習慣化できる人は別として、続かない人は、筋トレ法やダイエット法を学ぶより、先に20秒以内に行動できるように予め段取り準備しておくこと、5分続けることができれば人は自動運転に入ります。

 

次に「if thenプランニング」では

目標設定に対して

①やらなかった場合→モチベーション

②できなかった場合→時間、状況、具合

も想定して対策を打っておくこと。

 

 

自分の場合は寝る前に青汁の粉と天然水のペットボトルとコップを布団脇のテーブルにセット(20秒以内に一連の行動を取れるように段取りしておく)

朝起きたら布団畳んで、すぐ青汁を作り飲んでから、HIIT4分、テーブル下からダンベルを取り筋トレ後、瞑想5分する。

 

ここで感情や誘惑がでてきて、計画通りにいかなかった場合、

①どうしてもやる気がでない→夜実行。

②朝起きるのが遅くて時間が無くてできない場合→仕事帰宅後実行。

③具合が悪かった場合→夜実行。

④飲み会や予定があって夜できない場合は週1のチートデイ(計画してお休みの日を作ることで罪悪感は生まれにくいことで、挫折しにくくなる)

 

 

最悪の想定や選択肢を決めとくと無駄に悩まず自動で決められるので、時短に繋がり、ストレスにもならず、この方法でモーニングルーティンとして5月から今まで続けられています(´・∀・`)

 

人間誰しも感情があって、誘惑や障害は付き物だし、

 

自制心とかセルフコントロール能力には個人差はあると思いますが、慣れないうちや習慣化できるまでは筋トレやダイエットの場合は時間や回数を短小にして、

 

少しずつ積み重ねてハードルを高くして行くイメージで続ければ折れにくいかと思います。

 

あえてサボるのも計画に入れたり、見越したりするメソッドやテクニックを使えば、だんだん自信が付いて習慣化できる日もいずれやってきますし、人間の1日の行動の50%は習慣とも言われています。

 

つまり、良い習慣を身につけまくれば人生の50%はコントロールできるという理論らしいです。

 

 

まとめ

もし(if)Xが起きたら、行動(then)Yをすると前もって決めておくことで、行動に躊躇する人間の背中を押し、「もしAが失敗したら、プランBを実行しよう」

という形で前後策を用意できれば維持継続しやすいというテクニックです。

 

なので自分は「作業興奮の原理」+「if-thenプランニング」+今日紹介できなかったメソッドで、行動力と継続力を上げています。

 

今後も為になることを習慣化して、目標は歯磨きレベルで自己投資していきたいですね笑

 

 

ここまで読んでくれた方ありがとうございました(*・ω・)ノ

 

 

読書登録やはてなスターやブクマの方もありがとうございます‼︎

 

これからもよろしくお願いします‼︎

 

それでは(=´∀`)

「行動はアウトプット」

どーも、ワードプレス開設後に設定がよく分からず放置しているT-KUNです(´・Д・)」

 

今日はストレスや薬の副作用で記憶力が落ちてたとき、記憶のメカニズム知り、記憶術を身に付けたいと思って手にした一冊の本の学べたポイント5つを記事にしてきます。

 


著者は精神科医 樺沢紫苑さん
「アウトプット大全」

 


この方は精神医学、脳科学、心理学の知識から日本一のアウトプットをする医師ということで、

 


正しい記憶の仕方や数万時間を越えるアウトプット経験をもとに確立した、圧倒的に結果がでるアウトプット術が書いてある↓


1.アウトプットの定義


インプットとは脳の中に情報を入れる、つまり入力すること。
アウトプットとは脳の中に入ってきた情報を処理し、外界に出力すること。


具体的に言うと、

「見る」「読む」「聞く」→インプット

「話す」「書く」「行動する」→アウトプット


例えて学校で言うなら、

授業→インプット、

宿題→アウトプット。


仕事で言うなら、

習熟、教育→インプット、

実践、チャレンジ→アウトプット。


プライベートで言うなら、

映画を見る、本を読む→インプット、

映画や本の内容を話し書き説明→アウトプット。


人はインプットすると脳の中の情報や知識が増える。しかし、インプットだけでは現実的な変化はなに一つ起きない。


一方、アウトプットは行動すること。
行動して初めて現実世界に対して変化や影響を与えること。

 


2.アウトプットとは「運動」である


アウトプットするとき、運動神経を使って筋肉を動かす。手の筋肉を使って「書く」、口や喉の周りの筋肉を使って「話す」、全身の筋肉を使って「行動する」。


書く話すといった運動神経を使った記憶は「運動生記憶」と呼ばれる。運動生記憶の特徴は、一度覚えるとその後はほぼ忘れることはない。


3年ぶりに自転車に乗ったら乗り方を忘れていた、5年ぶりにスポーツをしたが覚えていない、ということはないはず。


筋肉や腱を動かすと、その運動は小脳を経て、海馬を経由し、大脳連合野に蓄積され、多くの神経細胞が働くことで記憶に残りやすくなる。


それに対してインプットの「読む」「見る」「聞く」などの暗記、意味記憶は覚えにくく、忘れやすい特徴がある。

 


3.記憶の基本法


1ヶ月前のランチでなに食べたか覚えていますか⁇
ほとんどの人は覚えていないと思います。
では、3日前のランチはどうでしょう⁇ 
これは多くの人が思いだせるはずです。


なぜ3日前のことは覚えているのに、1ヶ月前の記憶は曖昧になるでしょう。


またそれを防ぐにはどうすればいいか⁇


人間の脳は、「重要な情報」を長期記憶として残し、「重要でない情報」は忘れるようにつくられている。
重要な情報とはインプットしたあとに何度も「使われる情報」です。


つまり、インプットしても、その情報を何度も使わないとすぐに忘れてしまう。


脳に入力された情報は、「海馬」というところに仮保存される。その期間は、2〜4週間。仮保存期間中に、その情報が何度も使われると、脳はその情報を重要な情報と判断して「側頭葉」の長期記憶に移動する。

 


4.アウトプットの基本法


インプットとアウトプットの最も効率的な割合はどのくらいでしょうか⁇


大学生を対象に、勉強時間のうち「教科書を読む」と「問題を解く」をそれぞれどのように時間配分して勉強しているか調べた研究によると、インプット対アウトプットの平均的な比率は7:3。


またセミナー参加者(社会人)の88名を対象に行った調査では7.1:2.9。


またアウトプットの割合が4割以下の人が全体の88%を占め、ほとんどの人がインプット中心の勉強を行なってることがわかった。


つまり、学生も社会人もほとんどの人が時間とお金を無駄にし、覚えたつもりになっている、インプット中心の勉強をしているのが現実。


多くの人は「インプット過剰/アウトプット不足」に陥っており、それこそが「勉強しているのに成長しない」最大の原因とも言える。


インプットとアウトプットの黄金比は3:7で。



5.喜怒哀楽と記憶は紐付いている


喜怒哀楽が伴ったことは、強く記憶に残る。
それは喜怒哀楽を感じているとき、人の記憶力は何倍にも高まっている。


例えば過去の思い出を思い出してみると
パッと頭ん中に浮かんでくるのは「喜び」「怒り」「哀しみ」「楽しさ」のどれかが伴った思い出のはず。


特に「怒り」「哀しみ」は強く記憶に残る。
過去の思い出でも楽しい思い出より、悲しい思い出の方が数多く印象深く強く記憶に残りやすい、トラウマやコンプレックスなどが例に挙げられる。


この感情を利用して、「幸せだ」「嬉しい」「楽しい」と覚えたり学んだりすると記憶力は何倍にもなって、身に付くということ。


わざと感情を出すくらいが丁度いい。

 

 

感想

結論、習うより慣れろってこと。

知ってる→わかる→できるにすること。

例えば、こないだ見たドラマや映画や本の感想を誰かに話したり、今日聞いたセミナーの内容を教えることで記憶に定着しやすくなります。

 

もちろん、自分がブログやり始めた理由もここにあります笑


人に何かを教える、説明することが最高のアウトプットになる=仕事で部下に教えることも、育児で子供に教えることにも言えることです。


心理学の法則やメンタル疾患にも効果あるメソッドなど、役に立つものばかり載ってるので前向きになりたい、成長したいって人はオススメの本ですので読んでみて下さいね‼︎


ここまで読んでくれた方ありがとうございましたヽ(*´∀`)

 

加えて最近、読書登録やはてなスターやブクマありがとうございます‼︎

 

モチベ上がりますので、これからもよろしくお願いいたします(*´ω`*)

 

ではまた‼︎

「奮い立たされた本」

どーも、プレステ5予約抽選首長くして待ってるT-KUNです(´Д` )

 

今日は自分が鬱と診断され前を向けなかったとき仲間、友達、先輩、後輩周りに支え助けられ、勇気づけられてました。

 

それでも1人になると、落ち病んでた自分が嫌いで変えたくて、前を向く糧にできた、本の内容から5つのお気に入りの言葉をアウトプットの為、紹介します。

 

著者はメンタリストDaiGoさん
「ポジティブ・ワード」


この本は、自分を動かし人生を変える言葉のサプリメントということで、


簡単に言えばDaiGoさんがTwitterでのツイート名言集+応用例が収録されてる↓

 


1.自分を好きになれば、人生は好転する


自分を好きになれば、人生は好転する。だから、自分の人生をいい方向に変えたいならば、毎日あなたが行っている行動に注目して、それを行うことで自分をもっと好きになれるかを考えてみよう。

自分を好きになれないような行動を
とっているなら、それを改めればいい。
自分を本当に好きになれば、人生は変わる。

 


2.他人と自分を比べても、その先には怠惰か絶望しかない


他人と自分を比べても、その先に待っているのは怠惰か絶望しかない。
自分より下の人間と自分を比べれば、
自分に甘くなり、成長しなくなる。
自分より上の人間と自分を比べれば、
理想と現実の差に絶望する。
自由に生きるということは、
他人に左右されずに成長できるようになることなのだ。

 


3.自分を変える唯一の方法は、焦らず毎日続けることだ


いかに大きな目標を達成するかよりも
いかに長く続けることができるかを考えよう。
明日のあなたは、今日のあなたとさほど違いはないだろう。
ただし努力を続ければ、3年後のあなたは、今のあなたとは全くの別人になることができる。
自分を変えるための一番確実で唯一の方法は、焦らず毎日続けることだ。

 


4.過去のことは過去に置いてこよう


過去のことは過去に置いてきてしまおう。
変えることのできない過去を引きずって生きるのは、なんの役にも立たない重い荷物を引きずって旅をするのと同じくらい愚かだ。
旅と同じように、身軽に生きよう。
必要な物は必要になったときにまた手に入れればいい。
捨てて困る過去などないのだ。

 


5.後悔するほど何かを学べた過去に無駄なものはない


過去を無駄だったと後悔しないようにしよう。
今あなたが後悔しているということは
あなたはその経験から確かに何かを学んだ証拠だ。
つまりその過去はあなたを、
後悔できるレベルにまで成長させてくれたのだから、全く無駄にはなってないのだ。
後悔するほど何かを学べた過去に無駄なものなんてない。



感想

鬱になった自分を責めて、自己嫌悪や自暴自棄になり、医者にもらった薬を飲んでても情緒不安定で副作用も波があり、いろんな葛藤の中で仕事やプライベートにまで支障をだしていた、できなくなった自分を否定して周りと比べて落ちていた頃に、どうにかして自分を鼓舞して上を向きたくて、本を読み漁って出逢って、糧にできた一冊です。

 

昔の俺みたいに上がり下がり悩んで病んで行き詰まってモヤモヤしてた、悩みから抜け出したいって人がいたら読んでみることをオススメしますよヽ(*´∀`)

 

ここまで読んでくれた方、ありがとうございました(`・∀・´)

 

ではまた‼︎

Episode 4「反面教師」

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どーも、波乱万丈な男♣️tekunです(=´∀`)

 

今日は以前の続きから↓

https://t-kun.hateblo.jp/entry/2020/10/01/005355

エピソード4ということで病院に義理の兄貴と名乗る男が見舞いに現れる。

 

当時の俺に記憶はないが、3歳の時から母親と義兄は絶縁、勘当して会ってなかったらしく義兄と俺は4年振りの再会で、

義兄「生きててよかった、なんかあったら連絡しろ」

と言われ、コチャコチャのメモ紙に住所と手書きの下手くそな地図と連絡先が書かれてるものと1万円を俺に渡し、去って行った。

 

その金で親が病院から出たのを見計らって、売店でパンやカップ麺を食うのがあの時の最高の贅沢でした笑

 

それから3ヶ月後に退院するも、家に戻ればネグレクトと心理的虐待に学校ではいじめが待っていた、そんな狭間で学校の帰り道に義兄の言葉を思い出した。

 

公衆電話に走り電話するも繋がらなく、住所や地図を見ても当時8歳で道もわからず、交番に行っても家に連れ帰されるのわかってたから、道行く大人にメモ見せて聞き回ってなんとか義兄ん家⁇に着いて、アパートのインターホンを押すと義兄がでてきて救われた。

 

その日はラーメン屋連れてってもらって、あまりにもうまくて泣きながら食って泊まって次の日帰った。

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それからは義兄が仕事休みの日にゲーセンに連れてってくれたり、義兄や義兄の友達の改造車やバイクに乗せてくれたりで、すげー楽しかった(`・∀・´)

 

 

 

義兄は俺と17歳、年が離れていて、当時の仕事はパチ屋の店長で帰りが夜遅かった、俺は金が無くなると学校サボって義兄ん家でゲームして帰りを待っていると義兄が疲れた顔して帰ってきて、

義兄「なんだ居たのか、飯買いに行くぞ」

って近くのいつものコンビニで買ってくれて、明るくなるまでウイイレ付き合ってくれた。

 

朝になると家に帰りたくなかった。

 

この落差が、家に帰ると天国から地獄に戻ってきた感覚になる。

 

まさに夢の国から外にでて現実逃避したくなるミッキーと会った後のように。

 

学校に行くと苦痛で喘息も落ち着かなくて、4年生になるまで入院退院の繰り返しだった。

 

けど、ここから義兄を兄貴と思えるようになる出来事が起き、それ以上にいい家族との思い出がなに一つ無かった自分にいい兄貴として親父の代わりとしてこう教えてくれました。

 

「お前も俺もあんな糞親の元に産まれてきちまった、子は親を選べねーけど、これからどう考えて生きるかは自分で選べるから、この経験を逆手に強く生きろ」

 

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その言葉から色々なことを連想して学んだよ。

 

絶対にあんな親みたいな人間にはならないこと。

 

もし自分に子供ができたら自分みたいな、惨めな思いはさせないこと。

 

今日はここらへんで(´・∀・`)

 

追記《今の目線で↑を振り返り考察》

なにも教えてくれない親を逆手に取れば反面教師として使えるんだと思い、親の人間性や背中、人を見る観察力と洞察力が人一倍身についたこと。

 

育った環境と経験が価値観になるし、どう感じて自分なりに意味を与えて、人の常識とか人生観ができる過程が理解できた。

 

だから考えも十人十色で生き方も千差万別なんだと、

 

やっと3年前くらいから頭柔らかく寛容寛大に器大きく視野を広げてこうって思えるように客観的に見れるようになったし、

 

メンタリストDaiGoさんが貧困層で育った子供は知的謙遜能力(客観的に見て自分の能力を正しく判断する力)が高い傾向にあると研究で科学的に証明されてるとYouTubeで上げていたのを見て、やはりそーか‼︎

 

と自身の経験則や家庭環境に問題があった友達を見ていて感覚的に気付いていましたが、DaiGoさんの動画は論理的に納得いく内容で勉強になるし、さっぱりしました‼︎

 

ここまで見てくださった方ありがとうございました(´・∀・`)

 

今日はこの辺でまた(´・Д・)」

Episode 3「血の滲むような思い」

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どーも、波乱万丈な男♣️tekunです(´・Д・)」

 

今日は以前の続きから↓

https://t-kun.hateblo.jp/entry/2020/09/30/001624

エピソード3のお話をします。

ある日、授業参観終わった後に姉が教室に乗り込んできて言い放った。

 

姉「弟のこといじめてたやつ、どいつだ⁇」


教室の皆の反応「シーン」


俺「内心言ってねーのに、なんでコイツ知ってんだ」


姉「いるの知ってんだから、でてこいよ」


担任「お姉さん、いじめは無いんで落ち着いてください‼︎」

と姉を教室から離し連れて行って、姉が戻ってくることはなかった。


その日の帰り3人組に捕まり
3人組「ねーちゃんに言ったから、きたんだろ⁇」


俺「勝手に来ただけで、言ってない」


3人組「嘘ついてんなよ」
俺は胸ぐら掴まれ投げ飛ばされ
他の先生が近くを通ったので3人組は逃げていった。


なに糞って思いながら家に帰ったら、珍しく姉がいた。
俺「いきなり来てなんであんなこと言ったんだよ、また始まんだろ」


姉「直感だよ、始まるっていじめられてたんじゃねーか、なにされた⁇」


俺「別になんもねーからほっとけよ、もう学校行かねー」


姉「お前に原因があんじゃね⁇行かねーとまたいじめられるぞ」


母親「もうめんどくさいなら学校やめろ」


それから学校は不登校に。

気がついたら男も家に転がりこみ毎日母親と呑んだくれて、生活費も底ついてたらしく、電気水道ガス料金滞納でライフライン全て1ヶ月止められる始末。


米も炊けずにそのまま食ったり、日中公園に空いてるペットボトル持って水汲みに行ったり、夜はローソクで過ごす毎日。

 

屋根はあるが、ホームレスに近い小学生。。。

 

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米も底を尽き、空の冷蔵庫を漁りながら俺が「腹減ったよ」と言っても、

 

母親「なにも食うもんはない、だから近所の人に千円でも借りてくるか、米分けてもらってきな」

 

俺「わかった」

当時、食に飢えた少年の前に与えられた生き残りをかけたミッションでしかなかった。

 

親が子にすることなのか、常識も非常識も空腹状態の7歳にはわからず、本能的に従うしかないと判断した。

 

実家はボロい木造の借家で周辺近所にも借家や一軒家があり、

借家4軒と一軒家を1軒、計5軒を訪問しようと腹に決めた。

 

上下ボロボロの服に栄養失調、戦争孤児みたいに顔も汚れて、髪も伸びきった小学生が、

 

こう言い続け、頭を下げる。

 

俺「すいません、お金を千円でもいいんで貸してください。それが無理なら少しでもお米を分けてください。」

 

結果、4軒門前払いの1軒ヒットで、

 

借家のおばあちゃんに「あんたね、、、これで少しでもいいもん食べな」とそれ以上はなにも言わず、千円札3枚を手の上に置いてくれました。

 

俺「ありがとう、大きくなって働けるようになったら返すからね」

とこれで飯が食えるぞと力が湧いてスキップしながら立ち去った。

 

家に帰り、母親に2千円渡し、千円は保険として自分のポケットに隠した。

 

母親「なんだ、これだけかよ」

俺「それでご飯と納豆と卵、らーめん買ってきて」

母親「買ってくるから待ってて」

と午前中に出て行ってから、帰ってきたのはその夜でスーパーで買ってきた袋の中にはパックの日本酒とタバコとチキンラーメン1袋だけだった。

 

絶句だった。

 

自分の子供に金作らせて、それを私利私欲の為に使う毒親

 

怒りよりも、先に目の前のチキンラーメンにかぶりついた。

 

電気もガスも止められていて、お湯も沸かせず、そのまま食うしかなかったけど、すごいうまかったのを覚えてる、同時に直感的に親から自分は愛されていない、親は助けてくれないんだなと思い知り、頼らないで生きてくと誓った日でした。

 

次の日からまたその日暮らし、サバイバルが始まった。

 

空腹時の気持ち悪い感じを通り越して倦怠感を感じていた。

 

家から公園に水を汲み取りに行く最中で、ポケットに隠していたを軍資金を思い出してコンビニで弁当やパンを千円分買って、貪るように食ってその日は生き延びる。

 

次の日は水の汲み取り作業往復中に見つけたとある民家の犬小屋にお邪魔してドックフードを食ったり、

 

道路の側に生えてる、つくしや雑草も食ったりして、

 

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1週間過ごすが、口に食べ物を入れて飲み込む瞬間喉が痛くなったり、体に色々異変が起き、無気力になり、栄養失調から自分の足で歩くこともキツいくらい衰弱→2週間、水だけ飲んで寝たきり→小児ぜんそく発作発症→呼吸困難→救急車で搬送からの入院。


原因は気管支炎が狭いこと、親が吸っていたタバコの煙や不衛生だったことによるハウスダストやほこり、過度のストレスに栄養失調と診断され、発作が起きると「ヒューヒュー」とホント息苦しくて息苦しくて、当時は病院でもがき泣いていたのを今でも鮮明に覚えている。


ずっと点滴うちっぱに薬漬けに発作がでたら吸入して落ち着いたら解放される→また発作がくるサイクルの繰り返しだったが、家や学校に比べて病院が天国だと感じるくらい精神的に追い込まれていたからだ。

 

病院なら立派な病院食が3食与えられ、その上で和食か洋食か選択できるし、看護婦のたまごが勉強を教えてくれるシステムもあって、家にも学校にも居場所が無く戻りたくない。行きたくない。

 

ここでしばらく過ごせればいいと思えた。


それを知った親は自分が飯食えなくなるくらい金が無くなると病院に現れ、俺の病院食を取りにきて、付き添いで泊まるようになり病室で喧嘩しながら飯を取り合って食っていた。


入院してしばらく経った頃、義理の兄貴と名乗る男が病院にお見舞いにきてくれた。


真っ暗だったけど、少し光が見えたような気がした。


ってことでエピソード2はここまでで(´・∀・`)

 

追記《今の目線で↑を振り返り考察》

複雑な家庭環境で育ったり、身を置いた友人知人に共通していることがあることがわかりました。

 

愛情を注がれないまま大人になると、人格、性格、人間性になにかしら、歪みや影響が出ます。


よく言われる「虐待を受けてきた人は虐待を繰り返す」

心理的にも科学的にも証明されてるみたいですし、さらに虐待受けた子は大人になっても適応障害精神疾患にかかりやすかったり、人並みに育ってきた人達に比べたらリスクがあり、その傷は消すことが困難である場合が多いということ。


虐待には4種類あって、された子にとって、すべてトラウマやコンプレックスになると言われてます。


身体的虐待→子供の身体に外傷が生じる暴行を加えること。


心理的虐待→子供に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと。


性的虐待→子供にわいせつな行為をすることさせること。


ネグレクト→子供の心身の正常な発達を妨げる著しい、減食や長時間放置そのほかの保護者としての責任を著しく怠ること。


その中で俺が受けてたのはネグレクトと心理的虐待で、大人になった今でも細いのでコンプレックスですし、メンタルも強い方じゃないんで瞑想でトレーニングしてます(`・ω・´)


だから俺自身は子供んとき、血の滲むような思いや砂噛む思いの理不尽の連続で神様を恨みました。


何度も俺なんか生まれてこなきゃよかったのに、贅沢は言わないから普通の家庭に生まれてくりゃどれだけ幸せだったんだろう、なんで子供は親選べないんだろう思って過ごしてきました。


平成に生まれたけど、施設で育った方がよかったと思うし、ゆとり世代ではなく蛍の墓並みの生活を送ってきました。


今のこの世の中にも俺と同じ境遇だったり、もっと酷くて住所不定で学校にも行けない劣悪な環境に身を置くしかない、身寄りもない子供や人は表にでてこないから「悲痛な叫び」もニュースにならないだけでたくさんあると思います。


映画「万引き家族」とか「ギャングース」みたいな人もいるのかと思うと、日本にも光の当たらない人がいることは事実。


もっと国として税金上げる前にやるべきことたくさんあるんじゃないかと。

 

世の中資本主義で成り立ってるのはわかりますが、国のトップや政治家にはもう少し社会的弱者の立場になって考えてほしいものです。


自分のこの経験を活かし形にして、貧困で苦しんでる人達の為になにかできることがないかと考えています。

 

さいごに、、、

読みづらい記事にも関わらず購読して頂いてる方々がいることがモチベになっているので、ありがとうございます(`・∀・´)

 

 

でわ_φ(・_・