Episode 3「血の滲むような思い」
どーも、波乱万丈な男♣️tekunです(´・Д・)」
今日は以前の続きから↓
https://t-kun.hateblo.jp/entry/2020/09/30/001624
エピソード3のお話をします。
ある日、授業参観終わった後に姉が教室に乗り込んできて言い放った。
姉「弟のこといじめてたやつ、どいつだ⁇」
教室の皆の反応「シーン」
俺「内心言ってねーのに、なんでコイツ知ってんだ」
姉「いるの知ってんだから、でてこいよ」
担任「お姉さん、いじめは無いんで落ち着いてください‼︎」
と姉を教室から離し連れて行って、姉が戻ってくることはなかった。
その日の帰り3人組に捕まり
3人組「ねーちゃんに言ったから、きたんだろ⁇」
俺「勝手に来ただけで、言ってない」
3人組「嘘ついてんなよ」
俺は胸ぐら掴まれ投げ飛ばされ
他の先生が近くを通ったので3人組は逃げていった。
なに糞って思いながら家に帰ったら、珍しく姉がいた。
俺「いきなり来てなんであんなこと言ったんだよ、また始まんだろ」
姉「直感だよ、始まるっていじめられてたんじゃねーか、なにされた⁇」
俺「別になんもねーからほっとけよ、もう学校行かねー」
姉「お前に原因があんじゃね⁇行かねーとまたいじめられるぞ」
母親「もうめんどくさいなら学校やめろ」
それから学校は不登校に。
気がついたら男も家に転がりこみ毎日母親と呑んだくれて、生活費も底ついてたらしく、電気水道ガス料金滞納でライフライン全て1ヶ月止められる始末。
米も炊けずにそのまま食ったり、日中公園に空いてるペットボトル持って水汲みに行ったり、夜はローソクで過ごす毎日。
屋根はあるが、ホームレスに近い小学生。。。
米も底を尽き、空の冷蔵庫を漁りながら俺が「腹減ったよ」と言っても、
母親「なにも食うもんはない、だから近所の人に千円でも借りてくるか、米分けてもらってきな」
俺「わかった」
当時、食に飢えた少年の前に与えられた生き残りをかけたミッションでしかなかった。
親が子にすることなのか、常識も非常識も空腹状態の7歳にはわからず、本能的に従うしかないと判断した。
実家はボロい木造の借家で周辺近所にも借家や一軒家があり、
借家4軒と一軒家を1軒、計5軒を訪問しようと腹に決めた。
上下ボロボロの服に栄養失調、戦争孤児みたいに顔も汚れて、髪も伸びきった小学生が、
こう言い続け、頭を下げる。
俺「すいません、お金を千円でもいいんで貸してください。それが無理なら少しでもお米を分けてください。」
結果、4軒門前払いの1軒ヒットで、
借家のおばあちゃんに「あんたね、、、これで少しでもいいもん食べな」とそれ以上はなにも言わず、千円札3枚を手の上に置いてくれました。
俺「ありがとう、大きくなって働けるようになったら返すからね」
とこれで飯が食えるぞと力が湧いてスキップしながら立ち去った。
家に帰り、母親に2千円渡し、千円は保険として自分のポケットに隠した。
母親「なんだ、これだけかよ」
俺「それでご飯と納豆と卵、らーめん買ってきて」
母親「買ってくるから待ってて」
と午前中に出て行ってから、帰ってきたのはその夜でスーパーで買ってきた袋の中にはパックの日本酒とタバコとチキンラーメン1袋だけだった。
絶句だった。
自分の子供に金作らせて、それを私利私欲の為に使う毒親。
怒りよりも、先に目の前のチキンラーメンにかぶりついた。
電気もガスも止められていて、お湯も沸かせず、そのまま食うしかなかったけど、すごいうまかったのを覚えてる、同時に直感的に親から自分は愛されていない、親は助けてくれないんだなと思い知り、頼らないで生きてくと誓った日でした。
次の日からまたその日暮らし、サバイバルが始まった。
空腹時の気持ち悪い感じを通り越して倦怠感を感じていた。
家から公園に水を汲み取りに行く最中で、ポケットに隠していたを軍資金を思い出してコンビニで弁当やパンを千円分買って、貪るように食ってその日は生き延びる。
次の日は水の汲み取り作業往復中に見つけたとある民家の犬小屋にお邪魔してドックフードを食ったり、
道路の側に生えてる、つくしや雑草も食ったりして、
1週間過ごすが、口に食べ物を入れて飲み込む瞬間喉が痛くなったり、体に色々異変が起き、無気力になり、栄養失調から自分の足で歩くこともキツいくらい衰弱→2週間、水だけ飲んで寝たきり→小児ぜんそく発作発症→呼吸困難→救急車で搬送からの入院。
原因は気管支炎が狭いこと、親が吸っていたタバコの煙や不衛生だったことによるハウスダストやほこり、過度のストレスに栄養失調と診断され、発作が起きると「ヒューヒュー」とホント息苦しくて息苦しくて、当時は病院でもがき泣いていたのを今でも鮮明に覚えている。
ずっと点滴うちっぱに薬漬けに発作がでたら吸入して落ち着いたら解放される→また発作がくるサイクルの繰り返しだったが、家や学校に比べて病院が天国だと感じるくらい精神的に追い込まれていたからだ。
病院なら立派な病院食が3食与えられ、その上で和食か洋食か選択できるし、看護婦のたまごが勉強を教えてくれるシステムもあって、家にも学校にも居場所が無く戻りたくない。行きたくない。
ここでしばらく過ごせればいいと思えた。
それを知った親は自分が飯食えなくなるくらい金が無くなると病院に現れ、俺の病院食を取りにきて、付き添いで泊まるようになり病室で喧嘩しながら飯を取り合って食っていた。
入院してしばらく経った頃、義理の兄貴と名乗る男が病院にお見舞いにきてくれた。
真っ暗だったけど、少し光が見えたような気がした。
ってことでエピソード2はここまでで(´・∀・`)
追記《今の目線で↑を振り返り考察》
複雑な家庭環境で育ったり、身を置いた友人知人に共通していることがあることがわかりました。
愛情を注がれないまま大人になると、人格、性格、人間性になにかしら、歪みや影響が出ます。
よく言われる「虐待を受けてきた人は虐待を繰り返す」
心理的にも科学的にも証明されてるみたいですし、さらに虐待受けた子は大人になっても適応障害や精神疾患にかかりやすかったり、人並みに育ってきた人達に比べたらリスクがあり、その傷は消すことが困難である場合が多いということ。
虐待には4種類あって、された子にとって、すべてトラウマやコンプレックスになると言われてます。
身体的虐待→子供の身体に外傷が生じる暴行を加えること。
性的虐待→子供にわいせつな行為をすることさせること。
ネグレクト→子供の心身の正常な発達を妨げる著しい、減食や長時間放置そのほかの保護者としての責任を著しく怠ること。
その中で俺が受けてたのはネグレクトと心理的虐待で、大人になった今でも細いのでコンプレックスですし、メンタルも強い方じゃないんで瞑想でトレーニングしてます(`・ω・´)
だから俺自身は子供んとき、血の滲むような思いや砂噛む思いの理不尽の連続で神様を恨みました。
何度も俺なんか生まれてこなきゃよかったのに、贅沢は言わないから普通の家庭に生まれてくりゃどれだけ幸せだったんだろう、なんで子供は親選べないんだろう思って過ごしてきました。
平成に生まれたけど、施設で育った方がよかったと思うし、ゆとり世代ではなく蛍の墓並みの生活を送ってきました。
今のこの世の中にも俺と同じ境遇だったり、もっと酷くて住所不定で学校にも行けない劣悪な環境に身を置くしかない、身寄りもない子供や人は表にでてこないから「悲痛な叫び」もニュースにならないだけでたくさんあると思います。
映画「万引き家族」とか「ギャングース」みたいな人もいるのかと思うと、日本にも光の当たらない人がいることは事実。
もっと国として税金上げる前にやるべきことたくさんあるんじゃないかと。
世の中資本主義で成り立ってるのはわかりますが、国のトップや政治家にはもう少し社会的弱者の立場になって考えてほしいものです。
自分のこの経験を活かし形にして、貧困で苦しんでる人達の為になにかできることがないかと考えています。
さいごに、、、
読みづらい記事にも関わらず購読して頂いてる方々がいることがモチベになっているので、ありがとうございます(`・∀・´)
でわ_φ(・_・